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パルメラから京都へ ポルトガルの伝統的な工房から生まれたアズレージョが日本の地下鉄の駅に

ポルトガルのことは、アズレージョがたくさんある町を知っている。ポルトガル語のことは、「アズール(青)」や「フォルノ(窯)」といった言葉しか知らない。

 

建築の本で小さな四角いセラミックを見たとたん、石井春はこの作り方を学ぼう、と決心した。それがどれほど難しいことか想像もしなかった。そして、それが彼女に名声をもたらすことになることも想像すらしなかった。

 

1995年のことだ。セバスティアン・フォルトゥナのアトリエで、彼女は初めてその陶土に手を触れた。それ以来、毎年ポルトガルに、この工房に、戻ってきている。今、この日本のアーティストに迷いはない。「死ぬまでアズレージョを焼き続けます」。

 

春のおかげで、アズレージョは日本の各地で見られる。電車の駅、商業地域、会議場など、彼女の手によるアズレージョが飾られた日本のパブリックスペースがそこかしこにあるのだ。「日本でもタイルは焼けます。けれど、同じではないのです。同じ輝きは出ません」と、石井は言う。片言のポルトガル語と英語を使い、最後は日本語で。日本の寒冷地では割れてしまう釉薬や、運送の途中でひびが入ってしまう、などの問題はすでに解決した。それでも日本でアズレージョを作ってみようとしたことはある。だが、それはあまりに煩雑で、結局よけいにストレスがたまってしまい、もうあきらめた。「あの」コバルトブルーは、パルメラでしか出ないのだと石井は言い切る。「さまざまな素材を試しましたけれど、ポルトガルで作ったようには絶対にならなかったのです」

予期できぬアート

春は見て、試して、学んでいった。この国で陶器を焼きはじめてもう15年になろうというのに、予期できないこの素材にいまだに魅入られている様子だ。「こうなるかな、と想像しますね。けれど、炉から出てくると全然違うものが出てくるんです」そう言いながら工程はまったく同じだったのに違う青が出たアズレージョを見せてくれた。京都の地下街に設置する新しい作品の準備が終わるとーー今回、そのために6000枚のアズレージョを送ったのだというーー、ポルトガルで過ごす残りの数日は次の展覧会の準備で忙しくなった。その個展は、10月に同じく京都で開かれるらしい。

 

深い青に彩られたアズレージョのパネルには、石井春の日本語のメッセージが、ポルトガル語の翻訳とともに添えられている。《2008年~2009年、ポルトガルのエスパッソ・フォルトゥナ・アルテス・イ・オフィシオス工房にて, 手描きで描かれたこれらの9050枚のアズレージョは、生命への賛歌と水への祈りがこめられています》。日本語の文字を映し出すためには、炉で焼く前に一文字一文字、錐で穴をあけるという作業が必要だった。だが、ひとつの言葉だけは問題なく書けた。それはもちろん、日本語には翻訳できないので二カ国語に共通となった「アズレージョ」の文字だ。初めてこの国を訪れた時、彼女は工房の地元、アゼイタン製のチーズを丸ごと全部食べたと言う。「皮も何も全部、よ」。今は、ワインの友として、パンと一緒にちゃんとスプーンですくって食べるのよ、と楽しそうに笑った。(イザベル・ネリー)

写真の吹き出し

「1年に3か月くらいをポルトガルで過ごし、アズレージョを焼き、その後それを日本のパブリックスペースに使っています」(石井春、造形作家)

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